「どうしましょうとまつせんぱぁ~い!」
「皆が潮江せんぱいみたいな顔になっちゃったらぁ~!」
半泣きになったしんベエと喜三太が、鼻水とナメクジ全開で縋り付いてくる。
うげっと思いながら、宥めるように手を上下させた。頼ってくる後輩はそりゃまあ可愛くないと言えば嘘になるが、ナメクジと鼻水は、できれば素手で触りたくはない。
「大丈夫だって、別に潮江先輩そのものになるわけじゃ……」
富松の頭の中に、潮江文次郎になった一年生や、左門の姿が浮かび上がった。
はっとして背後を振り返る。急に視線を向けられて、食満が驚きつつも
「ん、どうした作」
と声をかけてくる。
しかし富松はその声を聞いてはいなかった。
食満留三郎先輩。
潮江文次郎先輩と「とっても仲が悪い」、犬猿の仲とも言うべき、武闘派六年生。
とっても仲が悪いという事は、もしかして、潮江文次郎化した下級生に喧嘩を売るということも……!?
いやまさか。いやしかしでも。食満先輩は潮江先輩とよく喧嘩してるし。いやでも。そんなまさか。下級生に手を上げた事なんて一度もないし。でも潮江先輩の顔した下級生は。でも先輩だから。あー、うう。
急に頭を抱えて悩み出した富松の様子に、食満は若干動揺しながら声をかけた。
三年生の富松作兵衛、普段はしっかりしているものの、時折妄想が暴走することがある。
「???さ、作?どうした?」
「食満先輩っ!!」
「な、なんだ?」
「先輩は、年下の文次郎先輩をいじめたことがあるんですか!」
食満は潮江文次郎の隈の濃い顔を思い浮かべて、思わず脳内でその顔を殴りながら即答した。
「いやそれはない。文次郎のバカが俺より年下のワケがない、顔からして」
「そうじゃなくて、小さい文次郎先輩ってことです!」
「ち、小さい……???」
後輩が何を言っているのか理解できない。
小さいという事はあれか?背丈が小さいという事か?俺より背の小さい文次郎……ざまあみろという言葉しか浮かばない。というか既に背丈は現時点でちょっぴり俺が勝っている。ざまあみろと言うしかない。
つまり文次郎をいじめ……いじめ……?いじめる以前にすぐさま突っかかっていった覚えしかない。売り言葉に買い言葉の応酬。ガンつけあって胸ぐら掴み合って、怒鳴り合いながら殴り合い。その後いつも二人揃って伊作に怒られ仙蔵にからかわれる。
うん、いじめの要素はない。
むしろ二人揃って伊作・仙蔵コンビにいじられた覚えがある。いじるっていうかアレは躾とか調教って言うレベル……あれ、気のせいか俺いじめられた方じゃないか?おかしいな、目から汗が……。
無言で突然目頭を押さえた食満に、作兵衛はまた違う方向に妄想を爆発させたらしく、さあっと青くなって何事かぶつぶつ呟き出す。
かたや目頭を押さえたまま空を仰ぐ用具委員長。なぜだろう、その背中には哀愁が漂っている。
その前に立つ、顔面蒼白で何かぶつぶつ呟いて虚空を睨む三年生。端から見たら何か悪霊でも取り憑いたのかと思うような有様だ。
どこからどう見ても異様な光景、しかし用具委員会ではそう珍しいものではない光景に、一年生三人はのんびりと道具磨きを続けている。
「はにゃ~、先輩たち動かなくなっちゃったよぉ」
「お腹へって動けないのかなあ」
「えぇ、しんべえじゃあるまいしぃ」
「ねぇどうしようねぇ、ナメさんたちに解決してもらう?」
喜三太のその発言に、先輩二人がただちに再起動を開始する。
放っておくとナメクジまみれにされかねない。今までの経験則から、ぼやぼやしているとあれよあれよという間に話が進んで、どうがんばってもナメクジから逃げ られない事態になるということは学んでいるのである。
可愛いが油断ならない隙もない、それが一年は組。
「いけいけぇぇぇどんどぉぉぉん!」
「待って先輩そっち生物委員の小屋がー!」
どがしゃあああぁぁ……
「……」
「……」
「はにゃ~」
「あ~あ」
「あれぇ?あの小屋、確か毒虫とか飼ってる小屋じゃなかったっけ?」
背景で立ち昇る黒いオーラに全く気付いた様子もなく、喜三太たちは実にのんびりと会話を繰り広げる。
「ちょっと行ってくる。作、後を頼む」
「はい」
黒いオーラの根源その一が額に青筋を浮かべながらゆっくりと立ち上がって、根源その二が同じく額に血管を浮かべてそれを見送る。
怒れる用具委員長はすうっと息を吸い込んで、
「小平ぇぇ太ァァァ!!!!」