言っておくが、ぼくは幽霊なんて信じちゃいないぞ。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」って言うじゃないか。
だから、今から話すのは、ただの見間違いの話だ。
うるさいな!話さないぞ!
……もう随分前のことだ。作法委員の活動をしている時だったな。
委員長の立花仙蔵先輩が実習でいなかったから、綾部先輩が指導してくださっていた。その日は首化粧の作法を学んでいて、いざ化粧をする段になって首人形を用意したんだけど……。
くのたま達がイタズラでつけた紅が落ちなくてさ。いい加減にして欲しいよね。きれいに管理してんの誰だと思ってるんだろ。
誰がやったんだか知らないけど、耳のところまで口があるみたいに紅が引かれててさ、しかもそこから血でも吐いてるみたいに、わざわざ墨を混ぜたような赤黒い紅がダラッと垂れて塗られてたんだ。センスが悪いにも程があるよ。
兵太夫はそれみて大笑いしてたけど。
あいつも大概シュミ悪いよな。
で、その紅が落ちなくって!人形とはいえ人の顔を思いっきり擦るのは抵抗があったんだけど、先輩が待ってて下さったから、全力で頑張った。先輩を待たせるわけにはいかないだろ?
しかも綾部先輩だからさ、あんまりヒマにさせると穴掘りに出かけちゃうんだ。ちょっとだけ、って本人は仰るんだけど、ちょっとだけだったことないし。
だけど結局落ちなくてさあ。浦風先輩がご自分の人形と交換してくれたんだ。
浦風先輩はは組だけど、綾部先輩の補佐をしながら僕たち一年生を気遣ってくれる、常識的ですごく良い先輩なんだ。
浦風先輩はしばらく首人形を擦ってたんだけど、兵太夫があんまりアホな失敗ばっかりしてるから、段々兵太夫に付きっきりになっちゃって。その間、首人形はほったらかしだったんだけど……。
いいか、これは見間違いだからな。
首人形の首が、ぎょろりって動いたんだ。見間違いだけどな!
その首人形は落ち武者ヘアスタイルだったんだけど、その髪もザワザワッて動いて、ゆっくり逆立っていくんだ。
耳まで裂けた口がめくれあがって、ずらっと並んだ犬みたいな歯が見えた。
その口が、ばっくり開いたかと思ったら、浦風先輩に飛びかかったんだ!
見間違いだよ!見間違いだけど、ぼくは浦風先輩が死んじゃう!って思って叫びそうになった。
そしたら、いつの間にか立ち上がってた綾部先輩が、踏み鋤を思いっきり首人形に振り下ろしたんだ。
当然大きな音がして、浦風先輩はびっくりして振り向いた。
「わっ!?綾部先輩!?」
「ちょっと虫がね」
首人形をぐりぐり踏みにじりながらそう言った綾部先輩は、今まで見た事がないくらい冷たい目をしてた。ちょっとカッコよかっ……な、なんでもない!
綾部先輩のいつもと違う目には気付かなかったみたいで、浦風先輩は微妙な目つきで綾部先輩を見やって、溜息をついた。
「とりあえずこれは用具委員に持って行って、ダメそうなら、来週壊れた備品の焚き上げをするそうですから。そこで燃しちゃいましょう」
「もうダメだよ、これは。今日燃やそう」
「ええー……あ、そういえば今日、保健委員が検便用のマッチ箱を一斉処分するって言ってましたし、一緒に燃してもらいましょうか」
「それだ。きっと虫も逃げ出すよ」
綾部先輩の力強い断言に浦風先輩は妙な顔をしたけど、首人形を持って立ち上がった。
「あ、虫」
浦風先輩がそんな事を言って首人形の目をデコピンした。
ものすごく痛そうな声が聞こえたような気がしたよ。気のせいだけど。
「あれ?虫だと思ったんだけど……」
浦風先輩は首を傾げながら作法室から出ていった。
最後に見た首人形は、デコピンされた目から、真っ赤な涙を流してるように見えた。
気のせいだけど、すごく痛そうだったな……。
何言ってんだよ!見間違いに決まってるだろ!
そうじゃなきゃ、ぼく明日から首人形に触れなくなっちゃうじゃないか!
先輩のコメント
浦風:
燃やした首人形?ああ、あれ虫がわいてたみたいでね、苦無に刺して運んだんだ。だってね、髪の中に何かウジャッとする感触があったから、気持ち悪かったんだよ~。
ああそう、そういえばあの検便用マッチ箱の山はすごかった!ニオイもすごくて!本当にクサかったよ~、どんだけ溜め込んでたの!?っていう量があってさ。
他の腐った薬とかも一緒に燃してたみたいで、鼻も目も喉も痛かった……。
そこに、紅で赤鬼みたいになった首人形投げ込んだんだ。
あんまり臭かったんで、善法寺先輩に挨拶してすぐ離れたよ。
「おぎょおおお……」って変な音がして、先輩がなんか変に引き攣った顔してたけど、何の音だったんだろ?
綾部:
立花先輩にもお聞きした事があるけど、ああいうのそう珍しいものじゃないよ。
昼間にあそこまで分かりやすく動く程のはそうそうないけどね。
でもねぇ、そもそも作法って云うのはああいうものを寄せ付けないまじないが自然と組みこまれているものなんだよ。
だからそう怖がらなくても、作法委員はそういうものに対して守りが強いから、多少デコピンしても大丈夫だよ。
だけどね、昼日中からひとの後輩に手を出そうとか、全くイイ度胸のやつがいたものだよ。
ざまあみろだね。