ええ、ええ、よっく覚えていますよ、あの時の騒ぎは。
全く迷惑な輩も居たものです。
つい先日の夜、我々会計委員会は毎月恒例の予算会議に向けた決算の真っ最中でした。
団蔵と左吉は二徹目で、団蔵は魂を飛ばしながら机に突っ伏し、左吉は字を書いている最中に意識が消えたらしく、筆を握ったままうたた寝していました。……いつもの光景ですよ。
神崎は三徹目でした。今回は寝ないように頑張っていたらしく、抓りすぎた頬が真っ赤に腫れて、ところどころアザになっていましたね。あれでは保健委員に付け入る隙を与えてしまうので、後ほど指導しなければ……。
実際、私も毎月経験しているからわかるのですが、アザになる程抓ったって、睡魔に勝てるとは限りません。
時折、白目を剥いて意識が飛びそうになるのを気力で踏ん張っているようでした。
私ですか?神崎と同じ、三徹目です。四年ともなれば、三徹でもまだ余裕がでてくるものです。
もうここまで来ると、潰れた連中はそっとしておくのが暗黙の了解です。
半刻ほど休ませておいた方が効率も良いですし、何日も共に頑張ってきた姿を見ていますし……、余裕のある者がやった方が確実というのもあります。
……まあ、その結果、潮江先輩が五徹目という臨界点を突破してしまったので、私がしっかりしなければと思ったんです。
え?臨界点突破した潮江先輩の様子?
……鉢屋先輩、失礼ですが大変趣味が悪くていらっしゃるようですね。もしご覧になりたいのであれば、次の予算会議の決算の手伝いにいらしてはどうですか?
……委員会を上げて歓迎させていただきますが……?
……そうですか、残念です。学級委員長委員会の方々は頭が良い生徒が多いので、誰か一人でも引きずり込めればと思ったのですが……。もし気が変わったら是非いらして下さいね。
ええ、手ぐすね引いて待っておりますので。
ええ、それで続きなんですけど。
ふと、潮江先輩と神崎の算盤の音が止みました。寝てしまったのかと顔を上げると、二人とも障子の向こうを睨むようにして動きを止めています。
すわ曲者か、と身構えたのですが、気配は感じられず……代わりに音が聞こえてきたんです。
微かな、どんちゃん騒ぎの宴の声が。
「……」
「……」
「……」
我々は——そう、とても疲れていたんです。
潮江先輩が無言で立ち上がって、思い切り障子を開けました。
その音に、左吉がびくっと顔を上げてキョロキョロとあたりを見回していて、神崎はその頭に手を置いて告げていました。
「後を頼む」
全く、神崎も好い面をするようになったものです。
「俺一人でいい」
「いいえ、潮江先輩。ぼくにも一人くらい殺らせて下さい」
「神崎の言う通りです。……ふふふ、おいでユリコ。不届き者にはお前のお仕置きをたっぷりと食らわせてやろうね」
潮江先輩、私、神崎の順で部屋を出ると、騒ぐ声がよく聞こえました。
「学級の茶室だな」
学級と言えば、我々会計委員会の頭を飛び越えて茶菓子代などという巫山戯たものを受理させた言語道断の連中です。
我々はますます殺気立ちました。
先輩方……、会計委員会に挑戦状を叩き付けたも同然のあの出来事、まさか忘れたとは言いますまいね?
フンッ、覚えておられるなら結構です。会計委員として、次は無いと断言させていただきます。
は?今日ですか?……四徹目ですが何か?
茶室に向かう途中で、何人もの先輩にお会いしました。
「仙蔵か」
「文次郎。どうした、そんなに殺気を撒き散らし……て」
「こんばんは、立花先輩」
「どうも、立花先輩!」
「……念の為言っておくが、殺すなよ?」
「考えておく」
「善処します」
「善処するかもしれません」
「小平太?それに長次か。夜練か」
「まあな!ところで、なんていうか、お前ら、その、あれだ、えっと……どうした?」
「お疲れ様です、七松先輩、中在家先輩」
「お疲れ様です!」
「……もそ」
「うん?なんだちょーじ、邪魔しちゃ悪いって?……あ、いや、うん、そうだな、なんか知らんが程々にな!」
「そうだな、程々にな」
「ええ、程々に」
「そうですね、程々に殺ります」
そうしてついた学級の茶室は灯りがこうこうとついていて、障子に写る影から見るに、浪人か侍か……大口開けて笑っていました。
「こんのくそ忙しい時期に……!しかも敵陣で酒盛りという間抜け極まりない三下の馬鹿どもに時間を割かねばならないとは……!」
「田村先輩、殺りましょう。殺るべきです。ぼくたちが心身共に削って学園の為働いているというのに、酒盛りなんてしてる奴らは吹っ飛べばいいんです」
「許可すると言いたいところだが、備品を壊すと決算に響く。連中を外に放り出してからにしろ」
そうして中に雪崩れ込んだのですが、障子戸を開けた途端ぱっと灯りが消え、人影も消えてしまったんです。
一瞬徹夜につきものの幻覚かと思ったのですが、室内には酒の匂いが充満しており、直前まで酒盛りをしていたのは明らかでした。
舌打ちして障子を閉めると、その瞬間にぱっと明かりが灯り、またどんちゃん騒ぎが始まったんです。
神崎が素早く障子を開けると、再びの暗闇、静寂、がらんどうの部屋。
この時点でもう、妖しものだろうということは見当がつきました。
しかし、妖しのものだからと言って腹の虫が治まるわけではありません。
障子戸を閉めて再開されたどんちゃん騒ぎに、我々は声を揃えて怒鳴っていました。
『ィやっかましいわ!!!!』
先日、学級の委員長代理として、鉢屋先輩が厳重注意を受けておられましたね。
いいですか、私たちは、忙しいんです!
全く本当に迷惑な出来事でしたよ!
後輩のコメント
左吉:
怖かったですよ!何がって顔が!
ぼくあんなに怖い顔の先輩たち初めて見ました。潮江先輩は結構いつも怖いんですけど、笑ったまま怒ってらっしゃることは今までなかったので、やっぱりすごく怖かったです。
田村先輩はうっすら微笑んでユリコに何か囁いてましたけど、とても声をかけられないくらい目が爛々と光ってました。
左門先輩はその……目が血走ってて……ニカって笑ってたんですけど……怖かったです……。
団蔵なんか先輩方のこめかみや額に浮かんだ青筋の数を数えてガタガタ震えてました。
……深夜の会計室には、その……いらっしゃらない方がいいと思います。
先輩のコメント
仙蔵:
あぁ……会計室に突如凄まじい殺気が渦巻いてな、その割に文次郎の怒鳴り声も聞こえんから、何事かと思って見に行ったのだ。
ふふん……そうさな、「殺気を昇らせ羅刹が往く」という風情であったよ。
稀に体育の平が、同じような般若の顔をして小平太を怒っているのを見た事があるが……田村はともかく、三年の神崎まであんな顔つき、殺気とは。
あれでは「地獄の会計委員会」の名は当分受け継がれような。