お前達、野山を歩いている時、急に静かなところに出くわすこと、ないか?
鳥も鳴かず、虫も鳴かず、葉ずれの音も聞こえない、そんな場所。
虫も避ける場所って言うのかな。
そう言う場所に行くと、どんなに大人な子でも逃げ出そうとするんだ。じゅんこでさえすごく嫌がるから、宥めるのが大変だったよ。
可愛い虫達が嫌がる場所に近付く理由なんてないからね。ずっと、深入りした事なんてなかったんだけど。
だけどある時、うま子とうま江が暴走したんだ。うま江は――なんだい?ああ、うま子とうま江は生物委員会で飼ってる馬だよ。学園の敷地内で迷子になってたのを竹谷先輩が保護したんだ。
で、うま江はね、裏裏山の手前で見つけたんだけど、うま子が……その、そういった場所に入って行っちゃったんだ。
できれば入りたくなかったけど、うま子を見捨てる訳にもいかないだろう?
一緒にうま子を追いかけてきた一平の息が落ち着くのを待って、入る事にした。
一平?委員会の一年生さ。い組だけあって頭が良いけど、初めて見る虫でも躊躇なく掴みに行くは組と比べると、ちょっと気が小さいかな。
「はぁ……。行きたくないな」
「えっ?何かあるんですか?」
「見なよ、じゅんこが怯えているじゃないか。彼女を徒に怖がらせる事はぼくの本意じゃない。連れのおなごを怖がらせるなんて、男としちゃあ最低だよ」
「……。あ、えっと、はい」
「ごめんよじゅんこ、すぐに終わらせるからね。さっさとうま子を見つけて、さっさと帰ろう。そうしたら二人で一緒にマリーのお見舞いに行こう」
できればじゅんこは置いていきたかったんだけど、一平はまだじゅんこの扱いに慣れていなかったし、二人とも連れて行く事にしたんだ。
うま子は体が大きいから、地面には蹄の跡がしっかり残っていた。
一平に足跡の見つけ方を教えながら進んで行くと、開けた場所に出た。
「せ、せんぱ――あれ……」
うま子はそこに居た。
ただ、その姿は異様だった。
棒立ちになって泡を吹いているところまでだったら、ただ混乱しているだけだと思うところだったんだけど……。
うま子の背中に、何かが乗っていた。
何か、うーん……何だったんだろうな。
カエルの卵、みたいな……なんだかふるふるとした半透明のものが、うま子の背中に乗ってたんだ。
ちょうど人一人が踞ったような大きさで、うま子が体を痙攣させる度ふよふよと揺れ動いて、大層気味が悪かったよ。
ぼくも一平もびっくりしてしまってね。
じゅんこがぼくにしがみついてきてね、全くぼくのマドンナってば可愛いったらないよ。ひしっと全力で巻き付いてくる彼女の愛らしさがわかるかい?
え?血が止まる?
フン、そんな程度で愛しい女を突き放すなんて、男の風上にもおけないね。
一平もしがみついて来たから、とりあえずじゅんこのついでに頭を撫でておいたけど。
ぼくが彼女の可愛さに身悶えしながらどうしようか迷っている内に、うま子は哀れな悲鳴を上げて倒れた。背中の何かよく分からないものも地面に落ちた。
それがうま子の最後の叫びだったらしいのは、倒れたうま子の体を見てすぐ分かった。
「うっ」
「え?」
巨大カエルの卵もどきが離れたうま子の背中は、大きく陥没していた。大きな穴が開いていたんだ。
えっ、ちょっ、吐きそうな顔しないでくれないかな。厠に行ってくれよ、じゅんこがびっくりしちゃうだろう。
そんな顔するけどね、別にそんなに気持ち悪くはなかったよ。前、竹谷先輩に連れられて牧場行った時に、牛を捌くのを見た事あるしさ。
君たちだって小動物とか魚くらいなら捌いた事あるだろう?
……ただ、変なんだけど、それだけ大きく抉られていたのに血が全く出ていなかったんだよ。あの血は何処に消えたんだろうね。
何が起こっているのか、いまいち把握できなくて固まるぼくたちの前で、それはゆっくりと転がって――ああ、うん、動いたんだ。生き物かどうかは知らないけどね。
うま子を中心に地面にサッと広がった。
一平がそれにビクッとして泣きそうになっていたね。
あれは、怪物とか化物の類い……だと思うんだけど、随分な大食漢なんだね。
うま子の骸は底なし沼に沈むようにゆっくりと、ソレの広がった地面に沈んで行った。
それを見ながら、ぼくたちは逃げた。
あれが生き物だとしたら、うま子より足が遅くて非力なぼくたちなんか格好の獲物なんだよ。それなら、捕食している今が逃げる好機だ。
まあ、獰猛な性質の虫なんかは、獲物を既に確保していても新しい獲物が通りかかると飛びかかっていくこともあるからね。逃げ方を失敗するとこっちに襲いかかってくる可能性もあったんだけど。
地面に広がったぷるぷるは、遠目に見るとただの水たまりのように見えた。
うん――そうだよ、作兵衛。あれは、たぶんああやって何食わぬフリで地面に広がって獲物が来るのを待っているんだろう。そういう……生き物?なんだ、たぶん。
そうだね、とくに左門と三之助は気をつけた方がいいと思うよ。
その半透明のソレは、ぼくたちが後ずさりしても追いかけては来なかった。
ぼくだってずっと鳥肌が立っていたんだけど、一平が酷く取り乱してしまったものだから、背負って走ったよ。
暫く走って――ようやく聞こえてきた鳥のさえずりが、これほど安心した事もなかったなぁ。
それにしても、うま子の骨も拾ってやれなかった。
竹谷先輩と一緒に墓は作ってやったけど……は組の、あの馬借の跡取りが来た時、号泣していたな。
彼も馬に関しては愛情深い子だ、うま子の最後を教えてあげられないのが辛かったよ。
同輩のコメント
富松:
なんでえそのバケモンは!?叫ぶなってお前これが叫ばずにいられるかってんでい!
あ?じゅんこが怯えるから騒ぐなだあ?おまっ……それっ……だあああ!違えだろ!!!裏裏山を立ち入り禁止にするレベルだろそれ!先生方にちゃんと報告したのかよ?
てえかなんで孫兵はそんなに冷静なんでえ、もっと大騒ぎするところだろここはよ。なんでそんな夢みる瞳でじゅんことの惚気話語り始めてってあああ待て左門三之助外に行くな!厠だア?んなこと言ってまたいつの間にか裏山あたりに居るのがてめえ等だろが大人しくしてやがれこのド阿呆共!
いいかてめーら、森で怪しい水たまりとかにウッカリ足突っ込むなよ!絶対、ぜっっっっっったいだぞ!!
俺ぁ立ち入り禁止になってねえってどういう了見なのかちょっくら先生に話聞いてくらぁ、おい方向オンチども絶対にそこ動くなよ……ってもういねえ!?
だあああどこ行きやがったあいつらああああああ!!
後輩のコメント
一平:
えっ、えっとそれは木下先生に口外しないように言われてて……あ、知ってらっしゃるんですか?
もーほんとう怖かったですあの鼻水みたいな生き物!
だってあのっ、うま子をこうズルズルと飲み込んで!馬ってけっこう大きいのに、丸ごと飲み込んじゃったんですよ!こ、腰が抜けちゃって……。
ううっ、それなのに伊賀崎先輩はジュンコにデレッとしてるし。
ぼくはもうここで終わりなのか~って思って、ちょっとだけ泣いちゃいました……。
あれ以来、ぼく、しんベエの鼻水が怖くなっちゃって、皆に笑われるんですぅ~……。